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MINAMISANRIKU
イヌワシの帰りを待つ土地

 

かつての生息環境を整えれば、
もう一度生息できる可能性があるはず

 

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鈴木 卓也さん

南三陸ワシタカ研究会、南三陸ネイチャーセンター友の会会長、南三陸ふるさと研究会事務局、波伝谷高屋敷ふるさと資料館館長

南三陸に生まれ育ち、幼少の頃よりイヌワシを見てきたという鈴木卓也さん。イヌワシをこの地域に呼び戻す活動の中心人物です。もともとは町の文化財保護を担う部署に勤め、現在は南三陸ネイチャーセンター友の会会長をしています。ほかにも南三陸のワシタカ研究会に所属し、私設の資料館を開設するなど、南三陸の文化、自然に深く関わってきました。

 


 

町のシンボルがいなくなってしまった

 

鈴木さんが小さい頃イヌワシは普通に見ることができたのですか?

私の生まれは南三陸の志津川地区ですが、小学四年生の時に地元の「志津川愛鳥会」という会に入会しました。その会で、大人たちが地元の山に連れて行ってくれて、何度もイヌワシを見ました。この町にはイヌワシがいる、山に行けばイヌワシがいるというのが当たり前の環境だったんですね。その後、町の文化財担当職員として勤務していた頃には、イヌワシも天然記念物ですから担当ですが、よく見に行っていたペアはその頃はすでに繁殖がうまくいかず、最終的にはいなくなってしまいました。2007年頃のことです。もう一つがいは震災前までは確認できたんですが、震災後は余裕がなくしばらく山に行くことができず、2012年になってようやく行ったところ、まったく見当たらない。この地域からイヌワシがいなくなってしまっているようだと、そこで初めて分かったんですね。

それは震災の影響もあるのでしょうか?

震災そのものの影響はないと思います。やはり山の環境がよくないのでしょうね。イヌワシは南三陸町のシンボルバード。シンボルがいないなんて大変だ!ということで、イヌワシが暮らしやすい山の環境を何とか取り戻そうと、山主さん、林業家さんと組んで活動をはじめました。また、私自身は林業の技術はないのですが、私のような素人でも参加可能な活動として、火防線トレイルプロジェクトを始めました。火防線は、山火事のの延焼防止のために尾根線沿いの木々を刈り払うもので、昔の山には普通にあったんです。この火防線が、山火事の延焼防止はもちろんのこと、イヌワシをはじめとした「開けた山の環境」を好む動物や植物の生息場所としても重要なんです。チェーンソーや狩り払い機が扱えなくても、鋸一丁あれば誰でも作業できます。火防線は山の散策道路(トレイル)にもなりますから、人と山との距離が縮まって、特にこれからを担う子どもたちが、自分たちが暮らすこの地域を俯瞰的に眺めることのできる場所と機会をつくることはとても意味のあることだと思っています。

イヌワシが暮らしやすい山とはどういう山ですか?

イヌワシは翼を広げると2メートル前後と非常に大きいので、混みあった林の中では餌を捕ることができません。世界的に見ても、イヌワシは非森林性の開けた環境を好む鳥です。森林国である日本でイヌワシがなぜ生き残ってこれたかというと、ずっと昔から人が火入れをしたり、伐採したりと山を利用することで、山の開けた環境が人為的に作り出されてきたからです。それが今、人が山に手を入れなくなったことで、イヌワシの生息環境が危機に瀕しています。ただし、昔と違って山の草の利用価値がほとんどなく、広い面積を草山として維持するのは今の時代では難しいので、それでは草山の代わりとなる環境はなにかというと、それはきちんと林業が回っていることによって生じる伐採地や新植地だろうということで、持続可能な林業地としての山を目指そうと。

放置された細い杉の木ばかりの山ではなく、きちんと手入れをして伐期に達した杉は伐採し、跡地に杉の苗を植えて育てて、50年後にまた伐採して植えて、そういうサイクルがきちんと廻っていて、雑木林も含めて伐採地から壮齢林までいろいろな段階の林がモザイク状に存在している山であればイヌワシも暮らせるだろうと考えています。こんなことは私ひとりが考えているだけではなにも進まないのですが、そこに理解を示してくれる山主さんがいたことは本当に大きかった。佐久という会社の12代目の佐藤太一さんという方ですが、佐久が持っている、かつてイヌワシがテリトリーとしていた山で試験的にやってみようということになったんです。森林経営計画の関係で皆伐はすぐには行えないので、2016年はより大きな間伐である強度間伐が行われました。経営計画の書き換え時期の2018年から計画的な小規模皆伐にシフトする予定です。

間伐は木々を間引いて伐採することで、皆伐は決めたエリアの木をすべて切ってしまうことですよね? 林業家にとっては大きな違いがあるのですか?

私は林業家ではないので、詳しくは佐藤さんに聞いて欲しいのですが、間伐には補助金がつくんですけど、皆伐には補助金がつかないそうで、林業家さんはあまり皆伐したがらないんですよね(*)。さらに、間伐の際は素性のいい木、つまり高く売れる木を切ってしまって、悪い木が残るという本末転倒な悪循環となり、また新しく苗木を植えることもないので将来的な資源は先細る一方で、そのようにして山がどんどん疲弊してしまうという状況があるそうですと聞いています。補助金ありきの林業では、持続可能とは言えません。でも佐藤さんは、きちんと皆伐して、次の世代の苗木を植え、また山を育てるというところまでやらないと林業はだめになってしまうと。それで、皆伐も含めた持続可能な林業へシフトしていくことと、イヌワシの狩場環境をつくることが重なって、では一緒にやりましょうということになりました。

*民有林でも、森林保護のため、国の森林法に則り計画に基づいた伐採をする必要があります。皆伐は、育てたものを最終的に全部収穫する、農業でいえば収穫のようなもの。そのため、基本的には収入となり、そこに補助金はつけられないという考えがあります。間伐は、収穫までの状態をよりよくするためなので、さらに森林保護という公益的要素もあり、補助金がつきやすくなります。

 

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P1030176_light南三陸ポータルセンターで行われたNACS-J市民カレッジ「イヌワシのふるさと〜生物多様性豊かな南三陸を未来へ〜」では、イヌワシの着ぐるみを着た子どもたちの楽しい一コマも。着ぐるみは、南三陸ネイチャーセンター友の会が毎年7月の「海の日」に開催している「南三陸子ども自然史ワークショップ」用に、友の会の活動を支援し続けているNPO法人大阪自然史センターが作成したものです。

 


 

イヌワシのふるさととしての南三陸

 

南三陸には高い山はあまりなく、群馬県の赤谷とは環境が異なりますね。鈴木さんは小さい頃、低灌木地や伐採跡地でイヌワシの狩りを実際に見たことがありますか?

あります、あります。繁殖していたのは国有林でしたが、伐採がされていて、そこで餌を獲っていました。巣立った若鳥の狩りの訓練の時はもっと離れた広く伐採されているエリアでした。北上山地でもこの辺の山は高くても標高500m台しかなく、雪も少ないので、イヌワシにとっては暮らしやすい環境なのかなと思っているんです。少し前までは、近隣の地域も含めるとこのあたりには4ペアのイヌワシがいたんですよ。

そんなにいたんですか⁈ 今もそれらのペアは残っているんでしょうか?

1ペアだけ残っています。ただし、その1ペアは、ウサギやヤマドリではなく、カモメを餌にすることで生き残ることができたようです。

それだけいまの山にはイヌワシの生きる場所が残されていないということなんですね。

この地域のイヌワシは、日本のイヌワシ研究と保護の歴史の中でも特異な位置を占めています。日本でイヌワシの営巣・繁殖が学術的に記録されたのは、鳥類学者の清棲幸保博士が戦前に長野で見つけた2例がはじまりですが、どちらも標高1500m前後のすごい山岳地帯での発見でした。そのため、イヌワシは山岳地帯の鳥というイメージがついてしまったんですね。ところが戦後になってはじめて見つかったイヌワシの巣は、宮城県在住の立花繁信先生が南三陸地域の山で見つけたもので、戦前の2例と違って標高500mもないような場所にイヌワシが巣をつくっているというので、当初は誰も信じてくれなかったそうです。それからは各地で巣が見つかっていきますが、どちらかというと高い山が多く、立花先生が見つけた繁殖地がずっと一番低い標高での事例でした。でも、それがイヌワシにとって不利な条件というわけではなかったようで、繁殖成功率は非常に高かったんですよ。そういった意味で、南三陸地域は、ある意味日本のイヌワシの歴史の1ページに残る重要な生息地なんですね。

南三陸の山は本来生息しやすい場所なのでしょうか?

人が手を入れ続けている限りはとてもいい場所だと私は思うんです。というのも、先にも述べたとおり、繁殖成績が非常によかったんですよ。1970年代までは約8割成功していて、80年代も比較的良好でした。しかし、90年代から急激に悪化して、2000年代に入ったら全然繁殖できなくなっていって。

90年代から急に落ち込むのは日本全国でいえることですね。

すでに絶滅へのカウントダウンが始まっていると思います。それを回避するには、根本的には山の環境そのものを変えないといけないわけで、それはイヌワシの研究者や観察者だけではとても無理です。山主さんをはじめ、山に関係する諸団体の皆さんとの連携、それも民間だけでなく、県有林や国有林とも連携しないと難しいですし、山を手入れするというのは、国策を含め産業構造そのものに関わらないとできないことだと思います。

 

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イヌワシが戻ってくる可能性のある山へと案内してくれた鈴木さん。アジア猛禽類ネットワーク会長の山﨑亨さんも同行し、かつてイヌワシが飛んでいたルートなどを確認しながら、未来への想像を膨らませました。


 

イヌワシの目線で環境づくりをしていく

 

イヌワシが戻ってくるとしたら、どのように戻ってくると考えられますか? 近くで生まれた若鳥がこの地に定着するということですか?

そうですね。巣立ち成功率8割という時代があったことを考えると、環境さえ整えればイヌワシにとっては魅力的な場所なのだろうと思うんです。岩手県では比較的繁殖成績がよく、毎年何羽か巣立っています。ただ、新しく巣立った若鳥が自分のテリトリーを確保するのは難しい状況です。環境がどんどん悪くなっていて、いま維持しているペアですら子育てできなくなっているような状態ですから。南三陸の山に伐採地があちこちにあり、イヌワシにとって魅力的な土地になったら、そのときに定着する若い個体が出てくるんじゃないかと期待しているんです。絶滅の危機に瀕するイヌワシですが、どうやって個体数を増やすかというと、それは生息可能な環境を増やすしかないですよね。それで、どこで増やすかというと、やはり昔いた場所の方がイヌワシ目線だと思うんです。また、もうひとつの方策として、動物園に飼育されている個体をトレーニングして放つという考えがありますが、現状ではなかなか難しいだろうと思います。ある程度生息環境を整えてあげてからでないと、いまの日本の環境ではやみくもに放しても餌が取れなくて死んでしまいます。現在、野生個体でもまだ巣立つのがゼロというわけではないので、そういう個体にとっていい環境をつくるということをまずは進めて行こうと思いますし、まだかろうじて巣立っているイヌワシが近くにいるいまがギリギリ最後のチャンスだろうと思います。また、そうした蓄積こそが、いずれ飼育繁殖個体を野外に放鳥することになった際にも、大いに役立つのではないかと思います。

今いるイヌワシを守るのではなく、いなくなってしまった場所に再びイヌワシを迎えるというのは、成功すれば日本の他の地域にとってもインパクトが大きいと思います。

イヌワシを見たことがあるという人がこの町は少なくないことも大きいと思います。ごく最近の記憶として残っているので、思いを共有しやすいところもありますね。それと、林業をちゃんとやることが自然保護でもあるという意識だけでも、一昔前とはだいぶ違うのかなと思うんです。イヌワシの生息地と矛盾しない林業というのはすごい武器になるでしょうから。正しく林業をやることでイヌワシが戻ってくるというのは、素晴らしいストーリーですよね。

 

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鈴木さんの横にいるのがイヌワシタイムズの編集長、出島誠一。赤谷での知見も生かしながら、南三陸でのイヌワシ保護の新たな取り組みを成功させようと話が盛り上がります。


鈴木卓也
Takuya Suzuki

南三陸ネイチャーセンター友の会会長、南三陸ワシタカ研究会事務局、波伝谷高屋敷ふるさと資料館館長

2007年まで志津川町役場(合併後は南三陸町役場)に文化財保護担当として勤務。退職後、母の生家を改装した「農漁家民宿かくれ里」を管理・運営していたが、東日本大震災により流出したため、現在は野鳥などの環境調査業にたずさわっている。

2016年10月5日更新